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東条英機は愛国者か?誤解された印象が一人歩きしているような…

☆東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ
 日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に開戦について語った内容が、メモとして残っていることがわかった。東条はこの日昼、開戦当日の予定を昭和天皇に説明したことにも言及。戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことで「すでに勝った」と発言するなど、太平洋戦争に突入する前夜に高揚する東条の胸中を初めて伝える貴重な史料だ。

 メモは、当時の湯沢三千男内務次官(1963年死去)の遺品から見つかった。東条の言葉を便箋5枚に書き残したもので、「十六年十二月七日(日曜日) 午後十一時二十分」との日時も書かれている。

 昭和天皇は主戦派の陸軍を抑えるため、41年10月、陸相の東条に組閣を命じ、外交交渉で戦争を回避する検討も求めた。だが米側の最終提案「ハル・ノート」が届き、交渉を断念。12月1日の御前会議で開戦を最終決定し、8日未明、米ハワイの真珠湾を攻撃した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180722-00050129-yom-soci

(解説)

本件ニュースにある様に、昭和天皇が、東条英機に期待したのは、ズバリ戦争回避である。
陸軍のタカ派を黙らせることが出来るのが、唯一陸軍の最高指揮官であるとの観点からだ。
また、昭和天皇は、陸軍の兵力など内情を一番理解しているのが東条英機であり、無茶なことはしないだろうと言う予想があった。

さて、長きに渡り、東条英機は、愛国者と言う認識があるが、実は違うのではないか?と私は主張したい。
陸軍・海軍の予算は、天皇陛下の決済が必要であったが、陸軍は中国大陸での戦線拡大には、決まった予算だけでは不十分であると痛感していた。
これまで日本政府の陸軍への要望は、中国大陸での戦線を拡大せず、速やかな沈静化を計れであった。

しかし…
陸軍が、戦費拡大を狙って考えたのが、天皇陛下に無許可である、円の増刷である。
当時、円が発行出来るとこが、3カ所存在した。
(1)本土の日本銀行、(2)朝鮮半島にある銀行、(3)中国大陸にある銀行 である。
天皇陛下の決済を受けない、円を無許可で増刷することで、中国大陸での戦線拡大が可能になると言うものだ。

驚くべきは、表向き天皇陛下より、大きな信頼を受けていた東条英機が、戦線拡大を目的とした戦費確保の方法を研究する様に、部下に指示していたと言うことだ。
そして実際に、無許可で円の増刷なされ、戦費拡大にあてられた。

もう、この段階で、天皇陛下への背信行為と言ってよいのではないか?
陸軍が戦費拡大の為に、円の増刷を企てていることを察知した政府は、円の発行出来る銀行を本土のみ1箇所に絞り込むことを考えていた。
この観点から、東条英機愛国者説に、ちょっと待った!を言いたい部分もある。

さらに、陸軍・海軍の思想には、大きな違いがあって、しばしば摩擦もあったかと思うが、東条英機は陸軍に抑える様に指導していない。
天皇陛下、及び、日本政府の意向を取り込むのなら、陸軍のタカ派を説得していたのではないか?

また、天皇陛下を助ける為に、米軍の起こした東京裁判に、積極的に法廷に立ったと言う説がある。
しかし、これは事実誤認ではないか?
何故なら、東条英機が戦争責任を認めないと、天皇陛下が悪いことになるとして、周囲から説得されて仕方なく法廷に立ったとする見方もある。
東条英機は、自殺を考えたが、助けられて法廷に立ったとする説もある。

色々、多角的にみると東条英機が、必ずしも愛国者とはならない様な気がする。

ただし、日本が本格的な対米戦を決意したのは、冷酷なハルノートに起因するのも事実だ。
米国は、美化して真実を伝えていないが、ハルノートは、日本に日露戦争以前にまで戻すことを強要するものだ。
満州国だけを手放すのではなく、日露戦争から取得した領土を全部手放すことまで強要されていた。

東条英機は、米国は日本が受け入れられないことを承知で、ハルノートを突き付けていると感じた。
開戦までの時間稼ぎを日本側がしたと言うのが米国の言い分だが、むしろ時間稼ぎをして軍備拡張をしたのは米国の方だと言える。
戦勝国の言い分がすべて正しく、敗戦国はすべて悪となってしまうのは、実に面白くない。